【HSP】ネガティブ思考に感謝する日常

気楽に賢く、正しく生きて行きたいHSPでネガティブな日常を綴ります。

流しの食器の山から学んだ!心をきれいにする簡単な方法

台所の流しに崩れそうに積み上がった食器の山を見る度に絶望的な気持ちになってしまう。そんな時は必要に迫られなければ山に手をつける気にもならず目をそむけてしまう。

 

目をそむけるのは絶望的な気持ちにもだ。必要に迫られてフォークと皿を発掘しながらまた絶望的な気持ちに陥る。

 

一気に片づけたりした時は気持ちも片付きすっきりする。このマイナスからプラスへの変化は心地いいものだけどあまりに絶望の期間が長くて情けない。

汚れものを貯めない対策は?

流しを出来るだけ綺麗にしておく対策は簡単だ。まめに片づけるようにすればいいだけだ。

 

心を汚すネガティブ思考も同じだと思う。流しに汚れた食器があったらすぐに洗って片づける。同様にネガティブ思考や無意味な反芻思考もその都度片づけるようにすれば絶望とかそんなに落ちて行くことはなくなるわけだ。

 

台所の流しも放置されればあっという間に食器の山ができて、手をつける気もなくなってしまう。心の放置も同じであまりに汚れてしまうと簡単には手が付けられなくなって最悪病んでしまうかもしれない。

皿一枚を洗うように一つの不快を洗う方法は

皿が一枚流しに出されたらすぐに洗う。心も一つ不快感が出たらすぐに消してきれいにする。心の不快感の洗剤は快感でいいから簡単だ。

 

例えば昼間上司に嫌みを言われたシーンが頭に浮かんで来たらどうしたらいいか。

 

結婚式の日に友達に囲まれて口々に「綺麗」と言われた思い出とか、合格発表で自分の番号を見つけた時「ヤッター」と飛びあがった思い出とか、人生で最も愉快なシーンを引き出してきて即座にニヤニヤする。たちまちどうでも良い上司の嫌みなんか消え去ってしまう。

 

いつでもどこでも突然浮かんでくるネガティブ思考をその都度消し去るためそういう思い出をいくつか用意しておくのは得策だ。

味覚に訴えて消し去る

カフェラテを飲むと癒されると言う人なら不快感が浮かんで来たらすぐにカフェラテを飲めばいい。ただ、ネガティブ思考とか不安な感情とか心を汚す不快感はいつどこで浮かんでくるか分からない。トイレや満員電車で浮かんでくることもあるからカフェラテで対応するのは難しいだろう。「でも安心してください」本当にカフェオレを飲む必要はない。カフェラテを飲んだ時を思い出して味覚で消してしまえばいいのだ。「ああ美味しい」と喉が熱くなる瞬間を引き出してくれば、不快感は消えて行くから大丈夫。

まとめ

流しに皿が一枚出たら即洗う。心に不快感が浮かんだら快感の思い出を引き出して消し去る。どちらもすぐやるでハッピーな生活を手に入れたいところ。

【反芻思考】グルグル思考から解放された!奇跡の体験

予期せぬトリガーで引き込まれてしまった反芻思考の泥沼を半日で消滅、復活した体験談です。私としては「奇跡!」としか言いようがありません。HSPで人間関係に辛さを感じている人たちにシェアしたい強い衝動からここに書かせていただきます。

苦手な集団と引き合わせれらた予期せぬ出来事とは?

子供と自分の人付き合いの質が全く違うために、小学校、中学校のママ達との付き合いはHSP、コミュ障の私にとっては茨の道でした。担当美容師さんしか知りえないうなじの妙な髪の生え方の様に自分から話さなければ大多数の人が知りえない妙な気にしすぎの性格。些細なママたちの自分や自分の子どもに対する言動に一喜一憂するあの日々。おのずと遠ざかることが出来たのは子供の高校進学でした。

 

小中と続けてきた野球のクラブチーム、ちょい悪男子仲良しグループからの決別。両方否定する理由もないし子供にとってはかけがえのないコミュニティに違いありませんでした。私にとっても自己成長の意味では必要な場だったに違いありません。

 

ここに数年ぶりに足を踏み入れる日が来てしまったのです。しかも2つのママグループ同時にときたのでもう全身がズタズタになりました。両方のグループに所属する子が個展をひらくことになりその知らせが両グループLINEから知らされることになったのです。「スゴイ!」「おめでとう!」のスタンプとコメントが続いたものの、個展に行くという書き込みは一つもありませんでした。

 

「行かないのも悪いかなぁ」と思っていたら、野球グループの方で同じくママ付き合いが苦手で意気投合して仲良くさせてもらってきた友達が「一緒に行こう」と誘ってくれました。試行錯誤の末彼女と最終日の最終時間にひっそりと見に行くことに決めました。その野球クラブチームのイケメンコーチの一人と不倫してそれが実は皆にバレている。まるでそんな過去を抱えているのと同じ様なコソコソした気持ちでいる自分が悲しいです。でも唯一理解者がいるのが救いでした。

 

最終日、最終時間に来る人は少ないだろうし、もし会っても時間もないし挨拶以上はないだろうと90%安心しきっていました。ところが当日大雨に見舞われたのです。降ったりやんだりの先の読めない天気で誰も来ないだろうという気持ちも背中を押したと思います。意外と恐れなく昼頃彼女のご主人に送ってもらって訪れたのです。

 

結果は最悪でした。大雨のためにタイミングを狙って来た人、足止めをくらって会場のカフェで長居を強いられた人がひしめき合い、両グループの主要なママとちょい悪男子たちがほぼ全員集合状態に陥りました。日ごろの鍛錬を生かして次々全員と笑顔で立ち居振る舞い、最低限の写真撮影終了後、彼女と逃げるように会場を後にしました。

 

その後、彼女と2人でお茶をしましたが殆ど同じ気持ちで共感してもらえたのが本当に有難かった。ただ、私は野球とちょい悪グループとダブルブッキングの重圧だったので彼女よりダメージが大きかったのは間違いありません。

 

反芻思考がスタート

予想はしていたものの帰宅後すぐに胸が締め付けられるグルグル、反芻思考の自動スイッチがオンされました。

誇大妄想とネガティブ思考が止まりません。

「何であの人達はLINEにはちょっとも書かないで来てたんだ」

「やっぱり仲間外れか」

「あんな大きな花をあげて声もかけてくれない」

「自分から写真をとってと声をかけたけど本当はやだったんじゃないか」

「〇〇さん会えてよかったとか、私だって来てるよ、無神経な書き込みすんな」

とか考えてもしょうがない声がグルグル鳴り響いて「もう無理」

しまいには「何で彼女は私を誘った!」

「私は野球グループだけじゃなくて、ちょい悪友達グループにも会わなきゃなんないんだよ」

とか大事な友達にまで矛先が向いていました。

終いには「何で雨降ってくんだよ」とか「テルテル坊主下げない自分が悪い」と言われても仕方ないことまでです。

暴走族がブンブンブブブン猛スピードで周りをグルグル走り続けている逃げようがない状態でした。チ

悟りの声が下りてきた

数時間後そんな状態が続き頭を抱えて寝込んでいたいところでしたが幸か不幸か色々やることがあってずっと動いて家事や文章を書く仕事などをしていました。大げさに言えば前向きに今を生きようとする状態。その間もお腹のあたりが重たくて嫌な声は聴こえ続けていました。意識していたのはネガティブな声もお腹の辺りの重たさも無理に消そうとしない、放っておくんです。

「なんでこんなにいつまでもネガティブなことばっか考えてんだよ」

「本当にどうしようもない」

とか自分自信を責めたり軽蔑したりする気持ちも湧き上がって来るんですけど、それも放っておくんです。

「人間だからしょうがないんだよ」

と反論する声が聴こえたら「その調子」と自分を励ましたり。とにかくとことん暴走族が去って行くまて勝手にさせておくんです。

そんな騒音を聞いていたら心なのか体なのかとにかく辛くなっていくのは当たり前です。突然バンっときたのは「この辛さはこの間の“背中ぎっくりごし”の痛みに相当するわ」という納得でした。まさに悟りの声です。

“背中ぎっくりごし”というのは病名じゃなくて自分で勝手に命名したものすごい背中の痛みのことです。ものすごい痛みでただ一日中じゃなくてある角度に体を傾けると「ギョワー」とか「ウィルィーイイー」とか叫ぶしかない激痛が背中に走るんです。背中の痛は3日くらい続きましたがある角度にしなければ避けることが出来ることが分かって日中は極力痛みを回避することができました。ただ寝る時は絶対に避けられないんです。横になった時がどうにも避けられない角度でした。もう激痛と共に寝るしかなかったんです。この状態がまさに反芻の暴走族ブンブン状態に相当すると納得しました。

背中ぎっくり腰で横になった時ものすごい痛いんですけど、その状態でしっかり誰にも頼らず生きていられるんです。それが快感というか人生初めての驚きの境地でした。変態なのかもしれませんけど。生きる目的が「この痛みから解放されること」に単純に集約される感じがして。ものすごい明るい気持ちで就寝していたんですよ。痛みを受け入れたって境地ですかね。痛みは自分では消せないことに納得してるような。

 

それが反芻の暴走族ブンブン状態でも出来た気がしました。自動的に繰り返される無意味な反芻思考も「生きてるからこその心の痛みなんだ」みたいな感じで受け入れられたんです。「今生きてるからこその痛み」自分なりの悟りの声が心を満たしました。だからと言ってすぐに暴走族が去って行ったわけじゃないんです。ただ解決の糸口を見つけ行動して見ようという原動力になりました。

感謝でネガティブ感情を消す

背中が痛かった時断念して整形外科に行ったように、何かやってみようと心がまず動きました。直近に読んだ本、田坂広志さんの『運気を磨く~心を浄化する三つの技法~』この本に色々導かれました。心に刺さった一文、

「幸運に導かれる」とき、それは、しばしば、「不運に見える出来事」の姿をして、やってくる。

 

この言葉が降りてきました。

 

大雨の天候はどうしようもない不運に見えました。でも幸運に導いてくれる…

本の中の「相手との和解」をやってみることにしました。心に浮かんだ嫌な人に対してとにかくやみくもに「〇〇さんありがとうございます」「〇〇さんありがとうございます」と感謝のことばを述べてみるというんです。そうすると「ただちに「感謝の心」に変わることはなくとも、心の何かが、ポジティブな方向に変わり始める」というんです。反芻でズタズタになった全身を布団に横たえながら、とにかく個展で会いたくないのに会うしかなかった人達の名前をあげて「〇〇さんありがとうございます」「〇〇さんありがとうございます」とやってみました。確かに重たい腹部のわだかまりが浄化されていくように感じました。続けて行くうちに気持ちよく眠っていました。

反芻はずっと続かない

私のようなHSPでネガティブ思考な人間は反芻思考のトリガーを一生避けることは不可能に違いありません。だからこそ繰り返しているうちに反芻思考、グルグル思考はその時は辛い、背中の激痛くらい辛いけど、背中の痛み同様にずっとは続かないってことを身をもって知ることが出来ています。必ず近いうちに終わりが来ます。だから深刻にならず“ぎっくり”を乗り越えるように痛みの終わりを待つのが賢明に違いないのです。

 

そしてより早く終わりが迎えられるように私のように本で読んだことなど実行してこんなふうにシェアすれば皆で反芻する無駄な時間を短縮できるという世界にポジティブな結果をもたらせます。

 

直近に田坂広志さんの『運気を磨く~心を浄化する三つの技法~』を読んでいたことは何かに導かれていとしか思えません。本の中にも

「大いなる何かに導かれている」

 

と言う言葉にも納得できました。

 

今後もまた反芻、グルグル思考に苦しめられることはあると思いますが、次はまず

言葉の密かな浄化力を活かす、和解の想念の浄化力を用いる

 

といった今回の体験をプラスして行きたい。今後も自分の体験や本、人から聞いた話を取り入れて少しでも楽に不運と思える出来事に対処して行きたいと思うのです。

神様なのか?セドナメソッドで手放す境地に導いてくれたのは?

2つのミスを連発!ヒヤリハット報告を強要される

昨日はとてもじゃないけど、気分よく過ごせない出来事が起きた。

 

久々にゼロ歳児クラスに入ることになったが、2つのミスを昼礼でヒヤリハットとして発表するよう私曰く腐れ縁のパワハラ上司に命じられた。

 

1つ目はベビーベッドの柵の上げ忘れなので、確かにヒヤリハットに違いない。たとえ一回だけでも報告した方が皆も気を付けられるし意味があるから仕方ない所だった。

 

問題は汚れたオムツ(うんちをかえた汚れたゴミでビニールに入って閉じてある)の置き忘れについてだ。

 

熟練の公開処刑ヒヤリハット報告

「これヒヤリハットなの!」と疑問を持ちながら報告することになった。

 

言い訳がましく聞こえるかもしれないが、左利きのため右利きは置かない左の棚(子供の手は届かない)に置き忘れてしまった。

 

2つの報告は5分程度で上司が自分が2つの件を発見し指摘したと誇らしげに発表しているように思えてならなかった。

 

私にとってはミスを暴露される、公開処刑に他ならず、この保育園で勤めるようになって4回目のことだ。

 

昼礼の場では園長、副園長もいる前でとにかく、深い反省をアピールしその他の先生からのダメ出しはなく今までで一番スッキリ終わった感じで自分の成長を感じた。

 

「とにかく腹を立てたら負け、言い訳を前面に出したら負け」と経験から思い知らされているから「ご指摘いただき、ありがとうございます」というスタンスで頭を擦り付け土下座をしているかの波動を醸し出し、迫真の勢いの演技で風と共に事務所を去りぬで幕を閉じた。

 

意外にもスカッとしていた「熟練の手応えとは、こんな感じに違いない」

♪ウイアーザチャンピオン、ウイアーザチャンピオンとメロディーが大きく鳴り響いた。その後2時間口角をギュッと上げて、とにかく動き続け、淡々と業務をこなし終業となった。

 

セドナメソッドで手放せない反芻思考

苦しみは帰路から始った。

「オムツの置き忘れ!絶対ヒヤリハットじゃないじゃん!2年前もやってましたとか、2年前も1回だけなのに。やっぱりパワハラとかいじめの範疇だよ!」

 

自転車に乗った瞬間、反芻のスイッチが押され抑え込まれていた感情が爆発して噴出を開始した。悔しさが込み上げて涙が目に溢れてきた。直感で思い浮かんできたのは、セドナメソッドだった。

”「この感情の核心へと入っていける?」「この感情に潜り込める?」。「もっと深くまで行ける?」

 

潜り続けると、何かが内側ではじけるところ、あるいはこれ以上先へは進めないと思えるところへと到達、心が静かになり、内側で穏やかな感じがすれば核心に着いたとわかります。内なる光に包まれ、温かく迎え入れるような空間と静けさに囲まれている自分が見えるかもしれません。

本の中に書かれたここに行きたいと心から望んでいた。

何度も怒りや、悲しみの感情が起こってきて、

「手放せますか」

「手放しますか」

「今」

とやって、握りしめたペンを落としたりしてみたが、一向に静かな心に到達なんかできず、溝内の下くらいがジュクジュクした感じが抜けなくなった。

 

この感情は自分の一部じゃなくて物体だと思い込もうとしても、全然受け入れられず、かえって一体化して深い水の底に向かって深く深く沈んで行く感じだった。

感情を第三者に吐き出した異常行動?

旦那に一部始終を話した。愚痴りに愚痴った。

 

こっち寄りの意見を口にしていたが、わざとらしくて癒しのかけらも得られた気はしなかった。とは言え外にぶちまけたことで少し溝打ちの下ジュクジュクが楽になった感じはあった。

 

他にやったのは、Twitterに新しいアカウントを作って、今回の件をツイートし①「これはパワハラとかいじめだ」②「そこまではないがオムツの置き忘れはヒヤリハットの報告の必要はない」どちらにしても自分が満足する選択肢を作って投票してもらった。

 

「自分もよくやるなと」怖い気もしたが、別に誰にも迷惑もかけないしと容認させてもらった。

 

誠意ある2人からのデータで100%②だった。大満足だった。まぎれもなく自己満足に違いないのだが。「2人の方本当に感謝です」

溝打ちのジュクジュクがさらに弱まった感じがした。

手放す境地に到達する奇跡!

風呂にはいらなきゃと思って横になっているうちに眠ってしまい1時頃目が覚めた。最悪のタイミングで「今日はもう眠れないかな」と諦めモードで朝まで反芻に苦しむのどろうと諦めていた。

 

ところが、突然映像が自動で流れて来た。

 

転職が決まって、職場に来る最後の日だった。誰もいないロッカールームに自分がいてニヤニヤしていた。自分の好きな人のロッカーの前にだけ大きなプレゼントを置いていた。そんなにプレゼントの数は多くはなくて、逆に多くのマウンティングされてきた人、ちょっとでも気に食わない人のロッカー前を素通りするたびにニヤニヤが止まらなくなっていた。

 

映像を見る自分の心はすごく静まっていて穏やかだった。

セドナメソットで到達すべきところは「ここに違いない」と確信した。

「いつでも辞める自由があるんだ」という声も聴こえてきた。

いつの間にか眠っていて朝目覚めると大分ジュクジュクは良くなってた。

神様からのシンクロニシティの気づき

テレビに流れるシンクロニシティなニュースが飛び込んできた。

運転していた園長と保育士の不注意で園児が1人送迎バスに取り残されて亡くなった事件から1年が過ぎたというもので被害者の両親が怒りと悔しさを語っていた。

ハンマーで頭をガーンと殴られた感じがした。

「不注意!そうだ、ちょっとした不注意からこういう事故に繋がるんだ。」

「オムツの置き忘れ自体は事故にならないかもしれないけど、そんな不注意を繰り返しているうちに、思わぬ事故を発生させて園児が被害に合うなんてことも、100%ないとは言えない。」

天からの気づきと思えた。

 

「小さな不注意も自覚して緊張感を持ち続けていないと」ポジティブな声が聞こえてきた。

家族にこの気づきを誇らしげに話した。

おわりに

それにしても、上司はそんな深い意味でオムツの置き忘れの報告を強要したわけがないとまたネガティブな反芻が始まった。

朝食を作りながら何度かこの反芻があったが、溝打ちのジュクジュク感は明らかに昨日より弱まっていて、まるで体から取り出せるようだった。

 

出勤する自転車の上で、急に昨日の夜見たロッカールームへ行きたくなってきた。気分よくなりたくて、憎き上司のロッカーの中に釘を打った藁人形を入れてスカッとしようかと思ったのだ。

 

上司のロッカーを開けた瞬間「違う!そこまでじゃない」と気づいた。「私はそこまでは望んでない」とはっきり分かった。

 

今は憎き上司のロッカーの前にプレゼントを置く気にはならないが、最後の日が来たらどうなっているかは知りえない。

 

少なくとも、釘が刺さった藁人形を入れてニンマリ笑っているようなおぞましい最後は望んでいないことは確かだった。

 

「私の物語に面白味を与えてくれてありがとう」なんて悟りを極めた思いで去ることができるかは今の時点ではハーフハーフとは正直言えないけれど、今回の一件で色々な気づきがあり成長できたことに感謝したい気持ちで「ありがとう」を伝えるのはやっぱり神様なのか?それとも…

to be continued



今日の読書『自分に気づく心理学』!口角上げて一日気分よく過ごせました!

最近一日の目標を朝書き出すことに決めている。
LINEのkeepメモに朝入力している。まだ始めたばかりだけど、今日はと言えば
「7月26日
一日気分よく過ごす。
気づきの文章を1つアップ
本一冊以上読む
小説の構想を進める」

 

一日気分良く過ごすために、とにかく口角を上げて過ごしている。

「口角を上げるだけで、脳が笑っていると錯覚して幸せホルモンセロトニンがバシャバシャ分泌される」これを大活用している。


意識して口角をグイっと上げている間は何とか気分よく過ごすことができている。
これは本当に楽ちんだ。緊張し過ぎたり、自身を失いそうになったら、即刻グイッと実行すると何とか良い波動が維持できているに違いない。
職場では何度か今日の目標「一日いい気分で過ごす」と言い聞かせていた気がする。
そしてまたグイッと意識する。マスクしてるからとてもやり易い。

でも、何度か無理な局面が訪れた。

一度目は以前は親友と思っていた同僚が他の同僚と盛り上がって話していて自分の存在に気づきもしなかった時。後ろから突然背中を押されて足がふらついて今にも落ちそうになっている感じだった。立っているのは、自殺の名所になるような岩場の崖っぷちとか、立ち入り禁止と書いてある柵のない屋上のへりとかそんな所ではない。運が悪ければ足を骨折するくらいの高さはある階段の上とかそんな所だろう。

なんで、そんな現場に出くわしたくらいでこんなに動揺してしまうのか??
そんな自分が情けなくて悲しくて「見ない!」+眼球固定で消してしまいたいシーンに違いなかったが、その行動に至る余裕がなくはまることになってしまった。

結局まだまだ修行が足りないって所で、このシーンとその時の感情がその後も何度も何度も降臨して反芻思考に溺れる瞬間が訪れた。

二度目は床掃除をやらされて、性格の悪い上司にご飯粒が残ってると指摘されて目の前に拾ったご飯粒の証拠をつきつけられた時だ。波動が急降下していたに違いない。それすら意識できず心が宙にさまよいウロウロ状態になっていた。それでも、何とかつかまえてその時の仕事に心を引き戻せた。「あぁ良かった」という所だった。

「結局『一日いい気分で過ごす』の目標達成はならなかった」と反芻思考に操られながら、楽しい帰路にならなかった。

家についてもしばらくモヤモヤしていたが「まだ一日は終わってない、気分よく過ごさねば」と自分が問いかけてきた。

他の目標も達成してないし!
「前に進もう!」と心の声が聞こえてきた。

「本を一冊以上、これは出来る!」
『自分に気づく心理学』という本がしっくりきた。

特にこの言葉が元親友の行動に翻弄された自分の心を言い当てているように思う。
“”本当は幼児が母親に扱われるように、自分もその身近な人に扱われたい、しかしそれはすでに恥ずかしい。恥ずかしいけど、心の底ではそれを望んでいる。自分の中には眼をそむけたいような願望がある“”
「なるほど!」すごく納得できた。
元親友と過去の人に分類する時いつも心が痛む。彼女が何か悪いことを自分には一つもしていないことは、よくよく分かっていて、結局母親に与えてもらえなかったものを彼女に期待し裏切らたと一方的に思い込み心の中で絶交したり、自分は勝手すぎると思わされているのだ。

「小説の構想を進める」これも行けるかな。

テーマは「アデリアレトログラス」を愛する男女の物語だ。
アデリアレトログラスは自分が育った昭和の時代に流行った模様が描かれたコップだ。
これが今リバイバルしているという。
ほのぼのとした中にユーモアがあるようなストーリーにしたいのだが、男女の主人公のイメージが固まっていない。

女性の年齢は20代後半から30代後半位で顔面偏差値は50、中には好みの人もいるかもというレベルにしようかと思う。体型はぽっちゃりを通り越した太目にしようと思っていた。そこからの面白味をふくらまそうかと思っていた。でも、アデリアレトログラスの可愛さを中心にするなら女性のスタイルは普通がいいのかなと。

今の所直感で女性が決まらないと男性は少しも定まらないなと思う。年齢は同じくらいのということだけは決めている。

女性は独身で一人暮らしで、短いカフェカーテンの窓にアデリアレトログラスを並べて飾っている。その窓を男性が覗きに通ってきているという設定だけ決めている。

冒頭に占い師を登場させるアイデアも浮かんできている。女性がその男性について占い師に相談に行く。でもまだ、頭の中の映像はクリアになっていない。

でも「小説を進める」この目標も達成した。

そして「気づきの文章を一つアップ」たどたどしい文章になりますが、これをアップさせていただきます。

「概ね目標達成!振り返って概ね気分よく過ごせた一日になりました」

コロナ最後の日!重度のサザエさん症候群からのスタート

コロナに感染して2週間仕事を休むことになってしまいました。
「休むことになってしまった」??
「ん~~この表現はちょっと違う!いや大分違う」

「休ませていただくことになった」の方が近いかな?
これはもちろん職場に対しての仕事に穴をあけて申し訳ないという意味も込めて丁寧な言い方になったということ。
嘘嘘!
ちゃっかり「休ませていただきま~す」
「いっただきま~す」の方がぴったんこって気がしますね。

もちろん、無症状とかじゃなくて熱も一時は38℃超えして辛い日もありました。
それでも、きっかけはともあれ「2週間も仕事から離れられるなんて」
育児休暇以来のことで、たとえ巣ごもりするしかなくても。
「そんなん差支えございませんよ」というのが本音でした。

最後の一週間は殆ど症状もなくなっておそらく人生でもかけがえのない充実した日々でした。

れっきとした感染者なのに、濃厚接触者の隔離機関が最短で3日になるっていうニュースが報じられるたびに「セッセセーフ」とか両手を広げてニンマリ笑いながらジャンプする自分の映像が頭に流れていました。

そんな充実した巣ごもり生活もついに終わりの日を迎えました。外出がOKになったのは最後の2日だけで貴重な一日ということで、公共交通機関を乗りまくって人混みを闊歩しました。

夜7時ころ急激にメンタルが落ち込んでどうにもこうにも這い上がれない状態になりました。育児休業のラストの日もこんな気分だったのか?全く覚えちゃいませんでした。

「0歳児を育てていたわけだから仕事にいかなくていいとは言え今回のような解放感はなかっただろうし異質だろうなぁ。」

「今回は本当の夢の終わり、イタタタタタ、心が心臓があぁ」

「あっそうか!重度のサザエさん症候群に違いない!」大大大発見でしたね。
「果たして明日から元通りの仕事が出来るのかぁ私は??」
自問自答みたいな不安がジワジワ浮かび上がってきた感じでしたねぇ。
大切な人とお別れする時のようなそんな気持ちもこみ上げてきました。

不安を鎮めるためだけに連絡先が分かる数少ない同僚たちに
「明日からよろしくお願いします」とか送りまくりました。
返事が来て多少心が落ち着いた気もしましたが、やっぱりいつもの軽いサザエさん症候群とは明らかに違う不安に心臓は押しつぶされる寸前でした。

心配してもしょうがないことは分かっていたので、気分をそらそうとパソコンに向かい新しい小説の構想を考えたりメモしたりしているうちに、少しずつ心の軽やかさが戻ってきました。

翌朝はすっきりした目覚めでした。そして口角を上げまくって、勢いの一日目を終えました。思ったより疲れなかった気がします。

「重度のサザエさん症候群」と軽い気持ちに集約できたことがよかったかね」と思います。
もしも「8月31日に〇〇してしまう学生の気持ち」とか思い込んでしまったら。。。
「それはなかっただろうけど、まだまだまだやり残したことがあり過ぎて、いつまでもいつまでも、しつこく地球をさまようことになってしまいそうだし」

【反芻思考止める】こんなに簡単でいいの!もう苦しまないでいいんです

更年期障害うつ病HSP、ストレスなどで反芻思考に悩んでいる人のために、少しでも辛さが解消される簡単な方法を2つご紹介します。

反芻思考とは?

思い出してもしょうがないエピソードやそれに伴う感情が何度も何度も思い出されるのが反芻思考です。反芻は牛とか羊、ヤギが胃の内容物を再び口の中に戻しクチャクチャすることを言います。これをするために反芻動物と言われるらしいけど、自分はこの仲間に違いないと思うのです。頭の中に何度も記憶と感情を戻して反芻しているからです。

 

「手紙など紙類を喜んで食べたり、草があれば一生食べ続けるような自制心のない下等な動物たちと一緒にされちゃたまったもんじゃない。一度食べたものを口に戻すなんて気色悪い」とかマウンティングしている場合じゃありません。動物にとっては生命維持に必要な消化の営みに過ぎずそんなことを言われる筋合いはないのです。

 

それに比べて人間の場合はうつ病の人などが反芻思考に囚われてしまうと「死んだ方がまし」と行動に移してしまうことすらある恐ろしい営みなのです。

 

しかも、この営みは生命を脅かすにも関わらずスイッチは自動で入りオフにすることは簡単ではないのです。

 

反芻思考が起こるしくみは?

反芻思考は自動思考とかグルグル思考とか言われます。過去の後悔とか未来の不安、恨みや嫉妬考えたくもないことが自動で頭の中にグルグル、グルグル繰り返し反芻されるのです。

 

まずスイッチが押される思考がありきです。その思考が発生するきっかけは嫌いな人との会話とか、たまたま見たテレビやネットの情報とか、受け身的に得られるたわいもない事柄です。たいていその情報や体験などに遭遇した時、胸が締め付けられたり、顔とか手が異常に熱くなったり、同時に感情が揺り動かされます。それによって、思考×感情が掛け合わせれ強い記憶として強化されます。そしてこれが何度も自動で思い出されることでさらに長期記憶として強化されるという悪循環に陥ることになるのです。これが反芻思考に飲み込まれるしくみです。

 

反芻思考のきっかけになる思考の例

例えば、陽キャラの多い職場で陰キャラの人が働いていて人間関係に苦労していたとします。一人だけ陰キャラの友達がいて心のより所にしていたのに、その人が今までみたこともない太陽くらい明るい笑顔で陽キャラの先輩や同僚と話しているのを見かけました。「何であの人だけ可愛がって」とか言葉が浮かんできて先輩を勝手に非難したり恨んだり自動思考が始ります。

陰キャラの友達に対しては「嘘つき、偽善者」と勝手に嫉妬の自動思考が止まらない状態に。決して実行するわけではありませんが、待ち伏せして文句を言ってやろうかとまで思います。どす黒い感情が頭の先から心臓、肺、子宮や内臓を取り込んで全身がドドメ色で反芻動物にも見られたくない状態です。

「誰か助けてぇ~」と叫びながら全て妄想ということは分かっているので責める相手が自分にアップデートします。自分なんか全生物のなかで最も醜い劣等感の固まりで生きてる価値なんかなにもないとか。ここまで行くとガンでい言えば最終ステージでしょうが、これに近いステージが自動的にリピートされるんですからたまったもんじゃありません。

時間経過して自然消滅を待つ

反芻思考を止めるための解決策として寝て忘れるとか、気晴らしをして忘れるとかはよく聞くところです。病的なものでなければ時間が解決してくれることは間違いありません。100万円結婚詐欺にあったとしても10年前の出来事ならその恨みつらみを当時のように反芻することは難しいでしょう。よりたわいもない嫉妬や恨みとかなら1年遡って思い出すことすら難しいきかもしれません。

紙に書き出して破って捨てる

ただ他人が聞いたらどうでもいいような反芻思考に囚われている時、1秒でも早く解放してほしいという悲痛な叫びが聴こえて来ます。その方法としてよく聞くのが、紙に書き出して破いて捨てるという方法です。私も何度かやって確かにすっきりしました。消せるボールペンを使って気持ちを整理しながら書きました。誰かに見られたら「もうこの界隈には住めません」という内容になりました。反芻動物さんに食べてもらったらいいかもしれません。粉々に破いてごみ箱に捨てました。焚火に投げ入れたらもっとスッキリするだろうと思いました。

反芻思考のきっかけの発生を止める方法

最近気づいたのが、そもそも反芻思考がスタートするきっかけの思考を発生させなければ、もっと楽に生きられるのではないかということです。本で読んで自分なりに試行錯誤の段階で完璧ではありませんが、ある程度手応えを覚えているので紹介させてもらいます。詳しくは本を参考にしてみて下さい。

簡単な反芻思考の回避方法【2選】

  1. 「見ない」

一つ目はきっかけの出来事に遭遇した時「見ない」と小声や心の中で言って見なかったことにするというものです。タロットとかトランプとかカードが裏返しに並べてあってめくってみたら意にそぐわないカードだったから「見ない!」と言って裏返してなかったことにしてしまうというイメージです。「見ない!」はちょっと早口に言った方がいいです。実際に見ることだけじゃんくて、反芻思考がちょっとでも浮かんで来たら.0.00001秒以内に「見ない!」と強く言って裏返しにしてしまうのです。出来事に遭遇した瞬間を1回目に雲のように通過する電車のように思考が反芻されてきたら「見ない!」パっと裏返しを繰り返します。間違いなく反芻思考が繰り返される時間が短縮されるでしょう。

参考:見ない、聞かない、反省しない: ―なぜかうまくいく人の秘密(著者・大嶋 信頼

 

  1. 眼球固定

睡眠中夢を見ている時は思考は起きていて眼球がキュルキュル動いています。起きている時も思考している時は必ず眼球が無意識に動いています。これを止めると思考が止まります。この生理的な営みを利用していやな反芻思考が始ったら無理矢理眼球を固定して思考を止めてしまうという方法です。練習が必要ですが瞑想とかヨガを練習するよりは楽に出来るようになると思います。簡単に言うと近くと遠くを同時に見る感覚です。眼球が内窪んで固定されているような感じがすれば思考が止まってすっきりします。

参考:自動思考に乗っ取られない眼の使い方!(著者・あさぎり)

まとめ

反芻思考は人間ならではの営みで完全になくしてしまうことは難しいでしょう。それでも、反芻動物の営みのように少しでも楽にやり過ごせるようになる視覚にまつわる「見ない」「眼球固定」という2つの方法をご紹介しました。せっかく色々な方法を読んでもいざ反芻してしまいそうなことが勃発した時すぐに思い出せなければ何にもなりません。「見ない」「眼球固定」この2Wordをしっかり覚えて瞬時に対処してみてください。心の重荷から解放されてハッピーライフを実現するお役に立てれば幸いです。

安倍元首相が銃撃され死亡!息子をほめてあげたい!

13時過ぎ休憩室に行くと“安倍元総理が銃撃され心配停止!!!”の話題で持ち切りなっていた。政治、政治家に無関心な自分でも心を揺り動かされずにはいられなかった。その時最初に頭に浮かんだのは旦那の苦笑する姿だった。あくまでも自分の妄想なのだが間違いなくニンマリ笑っているに違いないと確信していた。

 

LINEを確認すると12時代にやはりYahoo!ニュースのURLが送られてきていた。今日は延々感想を語られるに違いないと思うと「絶対にまっすぐ帰るまい」と心に決めた。私は「多分死なないと思うんだよね」と半信半疑よりは確信のある気持ちで向かいに座っていた20代の女の子に話していた。

 

終業後予定通り色々より道して6時過ぎに家に帰ると旦那から元総理が5時過ぎに死亡したことを告げられ自分の予想が外れてちょっとイラっとしてしまった。やはり「どんな人間も生きる権利はあるけど、同情する気にはならない」とか旦那は話してきた。私も否定はしなかった。その後はこの事件の参院選への影響とかの話題で延々と旦那の話は続いた。私と言えば「夫人が到着したのが5時前で亡くなったのが5時3分だから、多分夫人を待って延命をやめたんじゃないか?」とかどうでもいい自分の予測を声を大にして話していた。

 

今回誕生日がぎりぎりで選挙権を得なかった長男は何を感じたのか気になるところだったが、あまりに人として正しかったので驚きだった。銃撃の瞬間の映像を見ながら、SPが一発目の銃声に不動だったことに激怒していた。「体当たりして壇上から下ろすこともできたはず!」。「そうだよね!」と気付かされた。現役総理ならSPが囲んでいて命がけで守ったかもしれないけど。事件後の街の人達の声で元総理が何をしてきたかについて具体的に話す映像は見ないが「どうであれ」と付け加えて同情の声を口にしている人は複数見られた。「どうであれ」の部分が許せないと言う人はいるにせよ、長男の反応はあまりに率直で正当で「もう教えることはなくて、教わるばかりかもしれない」と思えてきた。