【HSP】ネガティブ思考に感謝する日常

気楽に賢く、正しく生きて行きたいHSPでネガティブな日常を綴ります。

【反芻思考】グルグル思考から解放された!奇跡の体験

予期せぬトリガーで引き込まれてしまった反芻思考の泥沼を半日で消滅、復活した体験談です。私としては「奇跡!」としか言いようがありません。HSPで人間関係に辛さを感じている人たちにシェアしたい強い衝動からここに書かせていただきます。

苦手な集団と引き合わせれらた予期せぬ出来事とは?

子供と自分の人付き合いの質が全く違うために、小学校、中学校のママ達との付き合いはHSP、コミュ障の私にとっては茨の道でした。担当美容師さんしか知りえないうなじの妙な髪の生え方の様に自分から話さなければ大多数の人が知りえない妙な気にしすぎの性格。些細なママたちの自分や自分の子どもに対する言動に一喜一憂するあの日々。おのずと遠ざかることが出来たのは子供の高校進学でした。

 

小中と続けてきた野球のクラブチーム、ちょい悪男子仲良しグループからの決別。両方否定する理由もないし子供にとってはかけがえのないコミュニティに違いありませんでした。私にとっても自己成長の意味では必要な場だったに違いありません。

 

ここに数年ぶりに足を踏み入れる日が来てしまったのです。しかも2つのママグループ同時にときたのでもう全身がズタズタになりました。両方のグループに所属する子が個展をひらくことになりその知らせが両グループLINEから知らされることになったのです。「スゴイ!」「おめでとう!」のスタンプとコメントが続いたものの、個展に行くという書き込みは一つもありませんでした。

 

「行かないのも悪いかなぁ」と思っていたら、野球グループの方で同じくママ付き合いが苦手で意気投合して仲良くさせてもらってきた友達が「一緒に行こう」と誘ってくれました。試行錯誤の末彼女と最終日の最終時間にひっそりと見に行くことに決めました。その野球クラブチームのイケメンコーチの一人と不倫してそれが実は皆にバレている。まるでそんな過去を抱えているのと同じ様なコソコソした気持ちでいる自分が悲しいです。でも唯一理解者がいるのが救いでした。

 

最終日、最終時間に来る人は少ないだろうし、もし会っても時間もないし挨拶以上はないだろうと90%安心しきっていました。ところが当日大雨に見舞われたのです。降ったりやんだりの先の読めない天気で誰も来ないだろうという気持ちも背中を押したと思います。意外と恐れなく昼頃彼女のご主人に送ってもらって訪れたのです。

 

結果は最悪でした。大雨のためにタイミングを狙って来た人、足止めをくらって会場のカフェで長居を強いられた人がひしめき合い、両グループの主要なママとちょい悪男子たちがほぼ全員集合状態に陥りました。日ごろの鍛錬を生かして次々全員と笑顔で立ち居振る舞い、最低限の写真撮影終了後、彼女と逃げるように会場を後にしました。

 

その後、彼女と2人でお茶をしましたが殆ど同じ気持ちで共感してもらえたのが本当に有難かった。ただ、私は野球とちょい悪グループとダブルブッキングの重圧だったので彼女よりダメージが大きかったのは間違いありません。

 

反芻思考がスタート

予想はしていたものの帰宅後すぐに胸が締め付けられるグルグル、反芻思考の自動スイッチがオンされました。

誇大妄想とネガティブ思考が止まりません。

「何であの人達はLINEにはちょっとも書かないで来てたんだ」

「やっぱり仲間外れか」

「あんな大きな花をあげて声もかけてくれない」

「自分から写真をとってと声をかけたけど本当はやだったんじゃないか」

「〇〇さん会えてよかったとか、私だって来てるよ、無神経な書き込みすんな」

とか考えてもしょうがない声がグルグル鳴り響いて「もう無理」

しまいには「何で彼女は私を誘った!」

「私は野球グループだけじゃなくて、ちょい悪友達グループにも会わなきゃなんないんだよ」

とか大事な友達にまで矛先が向いていました。

終いには「何で雨降ってくんだよ」とか「テルテル坊主下げない自分が悪い」と言われても仕方ないことまでです。

暴走族がブンブンブブブン猛スピードで周りをグルグル走り続けている逃げようがない状態でした。チ

悟りの声が下りてきた

数時間後そんな状態が続き頭を抱えて寝込んでいたいところでしたが幸か不幸か色々やることがあってずっと動いて家事や文章を書く仕事などをしていました。大げさに言えば前向きに今を生きようとする状態。その間もお腹のあたりが重たくて嫌な声は聴こえ続けていました。意識していたのはネガティブな声もお腹の辺りの重たさも無理に消そうとしない、放っておくんです。

「なんでこんなにいつまでもネガティブなことばっか考えてんだよ」

「本当にどうしようもない」

とか自分自信を責めたり軽蔑したりする気持ちも湧き上がって来るんですけど、それも放っておくんです。

「人間だからしょうがないんだよ」

と反論する声が聴こえたら「その調子」と自分を励ましたり。とにかくとことん暴走族が去って行くまて勝手にさせておくんです。

そんな騒音を聞いていたら心なのか体なのかとにかく辛くなっていくのは当たり前です。突然バンっときたのは「この辛さはこの間の“背中ぎっくりごし”の痛みに相当するわ」という納得でした。まさに悟りの声です。

“背中ぎっくりごし”というのは病名じゃなくて自分で勝手に命名したものすごい背中の痛みのことです。ものすごい痛みでただ一日中じゃなくてある角度に体を傾けると「ギョワー」とか「ウィルィーイイー」とか叫ぶしかない激痛が背中に走るんです。背中の痛は3日くらい続きましたがある角度にしなければ避けることが出来ることが分かって日中は極力痛みを回避することができました。ただ寝る時は絶対に避けられないんです。横になった時がどうにも避けられない角度でした。もう激痛と共に寝るしかなかったんです。この状態がまさに反芻の暴走族ブンブン状態に相当すると納得しました。

背中ぎっくり腰で横になった時ものすごい痛いんですけど、その状態でしっかり誰にも頼らず生きていられるんです。それが快感というか人生初めての驚きの境地でした。変態なのかもしれませんけど。生きる目的が「この痛みから解放されること」に単純に集約される感じがして。ものすごい明るい気持ちで就寝していたんですよ。痛みを受け入れたって境地ですかね。痛みは自分では消せないことに納得してるような。

 

それが反芻の暴走族ブンブン状態でも出来た気がしました。自動的に繰り返される無意味な反芻思考も「生きてるからこその心の痛みなんだ」みたいな感じで受け入れられたんです。「今生きてるからこその痛み」自分なりの悟りの声が心を満たしました。だからと言ってすぐに暴走族が去って行ったわけじゃないんです。ただ解決の糸口を見つけ行動して見ようという原動力になりました。

感謝でネガティブ感情を消す

背中が痛かった時断念して整形外科に行ったように、何かやってみようと心がまず動きました。直近に読んだ本、田坂広志さんの『運気を磨く~心を浄化する三つの技法~』この本に色々導かれました。心に刺さった一文、

「幸運に導かれる」とき、それは、しばしば、「不運に見える出来事」の姿をして、やってくる。

 

この言葉が降りてきました。

 

大雨の天候はどうしようもない不運に見えました。でも幸運に導いてくれる…

本の中の「相手との和解」をやってみることにしました。心に浮かんだ嫌な人に対してとにかくやみくもに「〇〇さんありがとうございます」「〇〇さんありがとうございます」と感謝のことばを述べてみるというんです。そうすると「ただちに「感謝の心」に変わることはなくとも、心の何かが、ポジティブな方向に変わり始める」というんです。反芻でズタズタになった全身を布団に横たえながら、とにかく個展で会いたくないのに会うしかなかった人達の名前をあげて「〇〇さんありがとうございます」「〇〇さんありがとうございます」とやってみました。確かに重たい腹部のわだかまりが浄化されていくように感じました。続けて行くうちに気持ちよく眠っていました。

反芻はずっと続かない

私のようなHSPでネガティブ思考な人間は反芻思考のトリガーを一生避けることは不可能に違いありません。だからこそ繰り返しているうちに反芻思考、グルグル思考はその時は辛い、背中の激痛くらい辛いけど、背中の痛み同様にずっとは続かないってことを身をもって知ることが出来ています。必ず近いうちに終わりが来ます。だから深刻にならず“ぎっくり”を乗り越えるように痛みの終わりを待つのが賢明に違いないのです。

 

そしてより早く終わりが迎えられるように私のように本で読んだことなど実行してこんなふうにシェアすれば皆で反芻する無駄な時間を短縮できるという世界にポジティブな結果をもたらせます。

 

直近に田坂広志さんの『運気を磨く~心を浄化する三つの技法~』を読んでいたことは何かに導かれていとしか思えません。本の中にも

「大いなる何かに導かれている」

 

と言う言葉にも納得できました。

 

今後もまた反芻、グルグル思考に苦しめられることはあると思いますが、次はまず

言葉の密かな浄化力を活かす、和解の想念の浄化力を用いる

 

といった今回の体験をプラスして行きたい。今後も自分の体験や本、人から聞いた話を取り入れて少しでも楽に不運と思える出来事に対処して行きたいと思うのです。