「歯が折れちゃいました~!」
恐ろしくドラマチックな言葉が耳に飛び込んできた。
ちょうど発表会の練習で園長を含めて全員が見学のために事務所から席を外したところだった。
慣れない電話番を頼まれて微妙に心がザワザワしながら「多分電話はかかってこないだろうな」と自分のいつもの運を呼び寄せようとしていた時、1歳クラスの緑先生がカケル君を抱っこして目は泳ぎやたらと多弁になっていた。
「ナースはどこ?カケル君の歯が折れちゃって」
ナースは事務所の隣のゼロ歳クラスで保育に入っていたので小窓から「緑先生が呼んでいるので私が代わります」とゼロ歳クラスで交代した。
事務所からは緑先生とナースの聞き捨てならない会話が飛び交っていた。
「部屋の滑り台をうつ伏せで滑らせていてやっちゃったみたいで」
見ていなかったってこと?
カケル君の歯の将来はこれからどうなるんだろうか?
色んな思いが頭を駆け巡った。
去年の今頃私は主にゼロ歳クラス担当だった。
夕方部屋にいられなくなる、不思議ちゃん、ウロウロちゃん、ギャオーガオガオちゃん3人娘と夕方の園庭でほぼ毎日過ごす日々だった。
当然、そのまま1歳クラスに娘たちと昇進するつもりでいたが、なぜか縁もゆかりもない3歳クラスに移された。
急展開を簡単に受け入れることはできなかった。
半年くらいは何で急に3歳クラスに移されたのか?
真相は分からない。誰にも率直に聞けない弱い立場が悲しかった。
徐々に悲しい事実を思い出す頻度は3日おき、週1へと減っていき、今じゃ何か思い出すトリガーがなければ、めったに巡ってこないどうでもいい過去になっていたところだった。
トリガーはたまに1歳クラスに手伝いに入って、寝かしつけとか給食とか娘たちと触れ合うときくらいだ。
クラスを外されるのは初めてのことじゃないし自分だけじゃない。
今年の卒園児クラスには3歳児クラスまで入っていたが突然秋の発表会の前に外されてフリーにされてしまった。
0歳の入園から一緒に過ごしてきたのにその後戻ることはなかった。
運動会も発表会もまともに見る機会もなく卒園していく。
その日ちょうどその午前中の時間にホールで卒園式の練習をしていた。
園長、副園長が見学に行くために私は事務所で一人電話番兼彼らの卒園アルバムに写真を挟み込む作業に手を動かしていたところで、電話とインターホンを持って0歳クラスの保育に入ることになった。
ゼロ歳クラスの小窓から緑先生とナースのやりとりが見えた。
2人のリアルな声は遠のいて響きを失い代わりに心の声がクリアに聴こえてきた。
「これで良かったんだ!」
良かったというのはもちろん「2歳児の歯が折れてよかった」じゃない。
私が1歳クラスに進級できなくてよかった!
ちょうど昨年の今頃私は0歳クラスでやらかした。
昼寝中に部屋のモップかけをしていて、急に一人が泣き出して慌ててトントンしにダッシュ。
その時消毒液のついた手袋を布団の上に落してしまい園児のズボンと布団が変色して保護者に担任と謝罪するという事件の加害者として汚名を轟かせてしまった。
園児がけがをしたわけじゃないのに、ヒヤリハットを会議で発表させられて、担任2人からお蔵入りと言っていい小さなミスまでほじくり返され列挙され心をズタズタにされながら「ご指摘ありがとうございます」と頭を下げる自分を哀れに思い出す。
その後4月を迎え1歳クラスに進級できなかった。
その事件が理由なのかは不明だったが、無関係ではないだろうとは思った。
担任2人はそのまま子供たちと進級し知らん顔だった。
今回のカケル君の歯が折れる事件が勃発。
もし、1歳クラスでその場にいたら、もっとひどい目にあっていたかも。
そう思うと、受け入れがたい理不尽と思える出来事があっても、心をざわつかせたら損なのだ。
未来に理由が分かることもある。
今回は1年と短かったが、もしかしたら何十年後に分かるなんてこともあるかもしれない。
だから、その場では気に食わないことが起きても、気に食わないと言う気持ちを受け入れたうえで、未来にその意味を託して、その時は事実を手放すことが一番ベストな選択に違いない。