【HSP】ネガティブ思考に感謝する日常

気楽に賢く、正しく生きて行きたいHSPでネガティブな日常を綴ります。

保育園の玄関で思う子育ての難題

うちの保育園の玄関はとても狭い。

畳2畳もないスペース。

そんな狭い玄関を利用する親子は200人以上意外と多い。

自分が帰る4時頃お迎えにくる保護者はまず正社員はいない。

特に目立つのが育児休業中で赤ちゃんを抱っこしたお母さんたちだ。

私はその人達を否定する気持ちは全くない。

保育園の行き帰りは親子にとって貴重な時間に違いない。

園児が「昨日帰りにお砂場でママと遊んだ」とか「セブンでアイスを買ってもらった」とか教えてくれる子供たちもいる。

ただ、狭い玄関で渋滞が出来ているのに子どもがゆっくり靴を履くのを見守っている行動に対しては賛否が分かれる気がする。

そこから既にママとの貴重な交流の時間が始まっていて、上手に自分で履けるのに「履かせて」とだだをこねていることもある。

自分でまだ出来ない場合、履けないのだから、いつまで続くのかという親子のやり取りが繰り広げられている。

日中保育園ではこのやり取りは保育者と子どもの間ではよくあることだ。

靴を履くときだけじゃなく、服を着る時、トイレをする時、食べる時。

毎日少しずつできるようになっていく子どもに寄り添い見守り待ってあげる時間。

ママとの間でもこの時間は絶対不可欠で時間のないお母さんにとっても将来の貯金になるには違いない。

私にはこの時間が欠けていたと今思わされる。

高校生にもなる息子だが、出来ていないことがあまりに多いので今さら驚かされる。

今さらしつけを始めようたって「この子耳はないんだっけ?」言うたびに思わされる。本当に悲しいです。

だから混み合う狭い玄関で靴を履くのをいつまでも見守るお母さん、私は一番リスペクトすべきに違いないのだろう。

それなのに毎日「早くしてくれないかな」という残念な気持ちばかりだ。

この場でお母さんは将来の教育の貯金をするべきか?

「早くしてくれないかな」の空気を読んで諦めるべきか?

この答えがシンプルに選べるのかは未熟な私には難題だ。