先週地元の50代の知人男性が孤独死したというニュースが実家から舞い込んできました。
コロナだったかもしれないし、そうじゃなかったかもしれないといいます。
今こんな風に亡くなる50代は結構多いのか少ないのか?
身近には多くはありません。
男性に恋愛感情も持ったこともないし、友達ですらありません。
ただ中学生、高校生と言う多感な時期に、確かに時を共にしていた私にとってかけがえのない一人だったと思えています。
彼はずっとお母さんと2人暮らしでしたが、数年前にお母さんを亡くし、最後は生活保護で都営住宅で独り暮らしをしていたそうです。
噂好きの母から彼の情報は定期的に私に届いていました。
20代の頃は一時大学の事務の仕事をしていたという話。
誰かに告白したとかしないとかいう話など。
私は彼と一対一で話をした記憶は一度もありませんが、無口で穏やかな雰囲気は不思議な存在感を私の心の中に今も残しています。
歌が上手いという特技がありました。
何度も聴いたわけではないはずですが、舞台の上で一点を見据えて堂々とソロパートを歌っていた記憶はまるで映画のワンシーンのようです。
いつも一緒にいる男性の友達も1人いたと思います。
もう30年近く会ったこともない彼の思い出は意外と多いことに驚きました。
いつ発症したかは知りませんが、統合性失調症のような類の病気で、経済的には長いこと保護を受けていたようです。
仕事出来ない、家族もいない、最後はどんな生活を送っていたのか詳しくは分かりません。
でも、多分あの当時のように結構充実していたんじゃないかと思えるのです。
彼が孤独死したことは、都営住宅の隣人にとっては間違いなく衝撃のスクープだったでしょう。
その時初めて彼の存在を知った人もいたのではないでしょうか?
「気の毒にねぇ」と砂のような同情のささやきが聴こえてきたのには理由があります。
うちのマンションの下の家で以前孤独死があり長いこと事故物件になっていたからです。
その人は足が不自由でしたが、毎日同じ時間にエレベーターで出会っていたので、仕事はしていたし、障害者用スペースに自家用車も持っていました。
それでも、死後大分だってから発見されたことを知った私たち家族は同じようなささやきをしていたことを覚えているからです。
でも今その人の人生、そして都営住宅で亡くなった知人の人生も気の毒という言葉ではまったく片づけられない厚みのあるものだったと思うのです。
知人男性の生きたことは少なからず私の心に様々な気づきを与えてくれています。
実際出来たかは分かりませんが、もしも最後の時を共に出来たなら、ポジティブな最高の言葉を探して、大きな色とりどりの花束を手渡したかった。
彼の歴史に幕が下ろされたその日にたまたま居合わせた人はいませんでした。
それでも、多くの財産を残して沢山の家族に囲まれて逝く人と何ら変わりがない人生だったに違いありません。